私の田舎は九州の小さな小さな離島です。
この度、父の長年の夢である、「定年したら生まれ故郷の田舎に移り住む」を叶えるため
家族みんなで実家の大移動の手伝いをしてきました。
田舎は本当に田舎で、島にはコンビニもスーパーも病院もなく、
この便利な大阪で暮らす私たちからすれば、想像もできないほど不便で暮らしにくい島です。
父はこの島で生まれ育ちましたが、19歳から大阪に出てきているので、大阪暮らし歴48年。。。
いくら故郷とはいえ、この歳でこんな不便な島にわざわざ移り住むって。。。
私たち子どもからすれば、心配で心配で、何度も考え直すよう説得しましたが、父は揺らぎませんでした。
そして移住当日、私も久々の田舎への帰省でわくわくそわそわしながら、約8時間かけて島に到着。
田舎は相変わらずノスタルジー満載でした。
島の人とすれ違えば、必ず「どこん子かー?」と聞かれ、「○○の娘ですー」と答え、
「あーあの○○さんちの上の空き家のとこん子ねー」「○○さんの孫か?」と。
島の人みんなどこが空き家で、誰の子が誰か、しっかり把握しているようで、
大阪では味わえない、あたたかで頼もしいご近所付き合いを感じました。
そして、問題の何年も空き家だった父の実家。。。
お庭にはツタが蔓延り、家の中もかなり掃除や換気が必要で、電化製品やガスはとても使えるような状態ではなく。
私たちの滞在は3泊4日、4日目の夜からは父が一人でここに住まないといけない。
果たしてどうにか住める状態になるのだろうかと、途方に暮れていました。。。
頭をかかえていた私たちに、父が「同級生の和也と幸弘に頼むから大丈夫!!」と。
すると、和也さんが60kgのプロパンガスタンクを担いで来てくれました。
そして庭の木やツタが危ないから切ってやるわーと言って、防護服にチェーンソーをもって伐採してくれました。
20代の男性でも難しいような大型電化製品の搬出入や設置も幸弘さんがほぼ一人でがんばってくれて。
父は2人に「俺もなんかやるよ?」というと、「都会のもんはここでは何もできんやろー座っときー」と笑顔。
2人とも67歳とは思えない頼もしさとやさしさに驚愕しながら、私たちもほとんどなにもできず、突っ立っていました。
そして私たちが帰る日の朝、わざわざ来てくれて、「心配やろうけど、大丈夫よ!おじさんもたまに見に来るけんね!」と言ってくれ涙が出ました。
強く温かい島の人たちのおかげで、無事引っ越しはうまくいき、私たちの途方もない心配心は和らぎました。
父は父で「この島のすばらしさをいろんな人に知ってほしい」と、SNSを勉強中。
すてきな田舎を持ったなぁと改めで感じ、私も彼らに負けず、強く優しく温かく生きていきたいと思います。