私は漫画やアニメが好きなので今日は最近見て考えさせられた漫画の話をしようと思います。
多分漫画とか好きな人は知ってると思いますが「チ。地球の運動について」というタイトルで話としては天動説と地動説の漫画です。
昔は宗教的にも天動説という(地球の周りを星たちが回ってる)というのが常識の世界で、地動説という地球が動いているという説は神への冒涜で異端とみなされ処刑されていました。
この漫画には主要人物はいますが主人公がいません。
知りたいという想いだけで繋がっていく、主人公でもなんでもない普通の人々が、命をかけて――「地球は動いている」という知識のバトンを未来へ残していきます。
なので主要人物は時代によってどんどん変わっていきます。
普通捕まって拷問にかけられたら自分の考えなんて曲げてしまう人がほとんどだと思います。私もきっとそうしてしまいます。
これは漫画なのでフィクションですが、実際地動説を唱えたコペルニクスやガリレオも異端とされていましたし、ジョルダーノブルーノという人は実際に火炙りになりました。
漫画ではこのジョルダーノブルーノをモデルにした主要人物も出てきます。
でも私はこの漫画の中で1番可哀想だと思ったのはその異端と呼ばれる人達を見つけて葬っていた異端審問官というノヴァクという教会側の人です。
ノヴァク自身も最初は自分の仕事として神に反している異端を静粛することが正義と思っていましたが、地動説を唱えては死ぬ人達を見て心が動かされていきます。
最終的に自分がしていた事は教会が悪といったからそうしていた、というただなんの根拠もなく自分で考えることもせず人が言っていたから悪と決めつけていた自分を後悔します。
でも私は大多数の人がノヴァクとおんなじ考えだと思いました。
これが常識だから、これが普通だから、誰々が言っていたから、という理由で自分と違う意見の人を異端な目でみて叩いてしまう。今のSNSを見ていると今も昔もそれは変わってないと思います。
昔の常識は今の非常識だし、常識は常に変わります。
今の常識もちょっと国を変えたらそれは非常識になるほど常識とは適当なものです。
そんな適当なものに振り回されて自分が信じている信念を曲げてしまうのはとても悲しいのではないか、と思いました。
漫画では常識に振り回されたノヴァクより信念を貫いて死んでいった人達の方が幸せに見えました。
地球が回っているというたったこれだけのことを言うためだけに沢山の人が関わって死んでいきました。
今はネットで死んでいった人や今の人が生涯かけて学んだ知識が数秒で手に入ります。
そのありがたみであったり、誰かがそう言ったからではなく、仕事でもそうですが、その常識にとらわれず自分自身で調べ、考えなければいけないし、それが「自分の行動に責任を持つ」と言うことだと思いました。
勉強するのに意味が見出せない子供とか、勉強する事を忘れた大人にぜひ見て欲しいです。
今学べるという幸せがあることを、知って欲しいです。
K