普段めったに怒らない父ですが、
唯一発するとムッとする言葉があります。
それは、「時間を潰す」という言葉です。
予定と予定のちょっと空いた時間に使いがちな言葉ですが、
父はこの言葉をとても嫌います。
以前母が、「じゃあ買い物してる間時間潰しといて~」といった際に
父は「なんで時間を潰すねん?!」と怪訝な顔をしました。
父はわずかな時間でも本を読んだりセミナーの動画を見たりするような人です。
時間が有限である人生で、その限られた時間を無駄にすることが納得いかないようです。
確かに、我々は人生の終わりを遥か遠い先のことだと思うから
今ある時間を無限だと思い1時間、2時間を適当に過ごしがちです。
じゃあもし「今日中であなたは死にます。」と言われたら
この1時間、2時間同じように過ごすのでしょうか。
私には8人孫がいる中で一番かわいがってくれていた祖父がいました。
ずっと心臓の病気であまり外に出かけることはできず
月に1,2回みんなで食卓に座り2~3時間みんなで話しているというのが
定番で当たり前な時間でした。
しかし、大学1年の時に祖父が病気で亡くなりました。
その時私は初めて、人が死んでいく瞬間というのを目の当たりにしました。
その瞬間に、まだ当たり前に祖父がいた時間、
ずっと顔も見ずケータイを触ってみんなで話す時間を全く大事にできていなかったことをとても後悔しました。
伝えたいことを伝えても反応がない祖父を見て
いつも当たり前にあったあの2~3時間が
とても恋しく大切だったことにようやく気が付きました。
自分、家族、恋人、友人問わず人はいつか必ず死にます。
それも大概はいつ死ぬかわからずに死にます。
この世には無限も絶対もなくてすべてが当たり前ではないです。
働く時間が1日で最も長い今、
より時間の大切さをひしひしと感じます。
最近は30分ほどの少しの時間が空いても
カラオケで動画を撮り、SNSに投稿するようにしています。
毎日、ただ過ぎていく1日ではなくて、
常に明日死んでもいいように、意味のある
価値のある時間を過ごしていきたいです。
そして今いる隣の人を大事にして、
思いは勿体ぶらずに伝えていきたいです。
MR