言葉のTPOについてお話します。
私は、中学からSNSに弾き語りの動画を投稿する活動をしていて、
最近私のバズった動画に対して、
「このコードの抑え方嫌いです。」
という初めてアンチコメントのようなものが来ました。
私がその押さえ方をすることによって、
その人の給料が下がったり、顔に傷がついたり何か不利益が被るのであれば
わざわざ私に言ってくることにまだ理解はできるのですが、
全く何の影響も与えないし、出る音に不都合があるわけでもないのに
そのようなマイナスな感想をコメントに残す理由がシンプルに理解できませんでした。
アンチというのはSNSでしかほぼ現れないと思っていて、
例えば電車で隣に座っている人に向かって
あなた不細工だねなんで言ってる現場には遭遇したことがありません。
仮に心でマイナスに思うことがあるにしても、
それを対面で面と向かって発信するという考えは
人間の一般的な倫理観にはないと思っています。
ましてや今の世の中はアンチコメントから自殺者も多く話題になっているため、
心だけではなく、肉体も遠隔で殺せてしまうことや、
開示請求をされるとだれが書いたかを特定され、
実際に罪に問われることも周知になってきているかと思います。
アンチをすることがむしろ自分にとっての不利益に繋がりかねないのに、
アンチという存在がなぜなくならないのか不思議でなりません。
「身体は食べるものででき、心は聞いた言葉ででき、未来は今の言葉が作る」
これは先日父が発していてとても印象的だった言葉です。
この言葉から、アンチコメントを書く人は、昔から誰かにさげすまれる環境で育ってきて、
そして今アンチをしていることで社会的に見ていやなポジションを
自らの手で確立しているなと思いました。
逆に仕事や習い事など相手に指摘をすることで成り立つ場面もあります。
これが言葉のTPOだと思っています。
また、同じ意味でも言葉のチョイスでその人の価値が決まると思っています。
例えば私自身、学生時代に門限があったり一人暮らしが禁止だったりしたことで、
それに対して「過保護だね」、という人と「大事にしてもらってるんだね」
という2パターンの人がいました。
自分自身がその状況に対して良くも悪くも思っていなかったため、
過保護といわれるとなんだかそのことを悪!と決めつけられているような気がして
いい気持ちはしませんでした。
大事にしてもらってるんだねと言われると、
育ち方、育て方をほめてもらっているような気がして悪い気分には
なりませんでした。
このように同じ意味合いでも言葉のチョイスで
受け取り方はかなり変わると思います。
時と場合によって言葉を使い分けたり、
時には厳しいことを言わないといけない時が来たり、
言葉というのは簡単に出せるのに簡単に取り返せないものだと思っています。
自分もその自覚を持ってTPOをわきまえた言葉使いに気を付けて
大事にしてもらってるんだねの方をチョイスできるような人間になれるよう
心がけようと思います。
MR