今しかない「今」

私には思春期真っ只中の息子がいます。
多感な時期を親も子もどう乗り越えていくか互いに悩む時期です。
子育てを通して修行をしているように感じます(笑)

子供との関係において、なるべく気を付けていることは、
「強制と服従の関係だと反発が強く、提案と妥協の関係だと反発は弱い」ということです。
思春期のこの時期は、提案と妥協の関係を目指すと乗り越えやすいと感じています。

それでも行き詰った時、思い出す詩があります。
「ママの毎日」より引用(長文の為一部抜粋)します。
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毎日 押し流されるように迫ってくる日常があるから
キレイに片付いた部屋も
大の字で朝まで眠れる夜も
ゆっくり塗れるマスカラも
なんだかもう思い出せない。

そう。

思い出せないから
私たちは つい 忘れてしまうのだ。
この毎日がずっと続かないということを。

1人でゆっくりお風呂に入れるようになったら
湯船の中 あなたと向き合い数を数え
柔らかく響いたあなたの声を
私は思い出すのでしょう

1人で好きなだけ寝返りをうち眠れるようになったら
どこまで寝転がっても隣にいないあなたのぬくもりを
私は探すのでしょう

好きな音楽のCDを好きなだけかけられるようになったら
この部屋の中に溢れていたあなたの笑い声を思い出して
私は泣くのでしょう

好きなだけお化粧に時間をかけられるようになったら
私の洋服をひっぱり
膝の上によじ登り
私のやることなすことをお邪魔してくるあなたのその小さな手を思い出して
私は泣くのでしょう

好きなだけヒールが履けるようになったら
笑い転げるあなたを追いかけて走り回り
泥だらけになって遊んだあの空を思い出して
私は泣くのでしょう

あなたの足音がしない部屋の掃除機をかける日が訪れたら
粉々になったビスケットの食べこぼしも
小さなおもちゃの部品も
あなたの細い柔らかい髪の毛も落ちていないことを知り
私は泣くのでしょう

1人で好きなことを好きな時に
好きなだけ出来るようになったら
どんな時も「ママ」「ママ」と私を呼び
どんな時も私のことを探しているあなたの姿を思い出して
私は泣くのでしょう

一体いつまであるのかな
一体 いつまでここにいてくれるのかな

そして
そんなことを考えているうちに
また 今日も終わってしまった。

私たちの日常は「子どもが側にいる『今』」だから

子どもから離れて1人になれた瞬間が特別に感じて
好きなことを堪能できる喜びを噛み締めるけれど

でも 自分の人生を考えてみたら
特別なのは
本当は 子どもが側に生きているこの毎日の方。

でも 私たちはそれを忘れてしまう

なんだか ずっと続くような錯覚を起こして毎日を過ごしているけれど

大変に思えるこの毎日に
数えきれない 愛しい が散りばめられていることを
私たちは いつか知るのです。

子どもたちが
この世に生まれてから今日まで

ママとパパのために
全身を力いっぱい使って思い出を撒き散らしてくれていたことに
私たちは 過ぎてから気付くのです。

ママの毎日は
ママでいられる毎日です。

私たちは この命が尽きるまで
どんなに子どもと離れていても子どもを思い、心配し、愛し続ける 子どもたちの母親だけれど

でも 子どもたちの側で『ママ』でいられることの出来る日の
なんて短いことかを
いつか思い知るのでしょう。

今日もあなたは
屈託のない笑顔で振り向き
「ママ!」と言って
両手を広げて こちらに飛び込んでくる。

忘れるものか。
絶対に。
絶対に。

あなたの前髪を切り過ぎて笑った昨日を。
あなたを怒って自分に涙が出た今日を。
あなたの寝相に笑った夜を。
あなたが摘んでくれたシロツメクサの白さを。

あなたに許された私を
あなたがいてくれるこの毎日を。
私は 絶対に忘れない。

自分のことが一番大切だったそんな私に
自分の命よりも大切だと思える存在がこの世にはあると教えてくれた子どもたちに
心から感謝

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思春期の息子には、できるだけ目をかけて手をかけず…。
今しかない「今」を大切にできるように、たくさんハグしたいと思います。

K